ロバート・モーグ、シンセサイザーを語る (1/10)
シンセサイザーの父、ロバート (ボブ)・モーグが、自らの半生などを語っている。Red Bull Music Academyの2003年の公開インタビューより。なお、本人は2005年に亡くなった。
→ Red Bull Music Academy | Bob Moog
先日、「Vintage Synthesizers」という良さげな本を見つけてですね。そうしたら、ボブ・モーグとかいう人が「Minimoog - the ultimate and antique analog」なんて文章を書いてるんですよ。ちょっと声に出して読んでみて頂けたりしますか。
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この本、久しぶりだね。さて、
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「四半世紀ほど前 (1970年のこと)、最初のMinimoogが世に出た。そして1980年代初頭、モーグミュージック社は、最後のMinimoogの25台に記念の金属プレートを付け、法外な値段で売り出して荒稼ぎしようとした」
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これを私が書いたのか?(笑)
それをお聞きしたかったんですが。
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「この楽器独特のサウンドは今でも広く親しまれている。特に3 VCOの太いベースサウンドは、時代や流行を越えて音色の基本になり、ハモンドG3やローズ電気ピアノなど、限られた楽器だけが選ばれるキーボードの殿堂に仲間入りした」
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こんな文章を書いたとは憶えてなかったが、多少は合ってるね (笑)。
オシレーターとかモジュレーションとか、そういうのに興味を持ったのは、いつ頃ですか。
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小さい頃から、電子回路、特に音を出す電子回路に興味があったんだ。ただ、今の電子回路とは違う。当時のは、真空管、抵抗、コンデンサー、大きな変圧器、そんなもので、食卓の上にようやく一式が乗るくらいだった。その頃の子供は野球してるか喧嘩してるかどちらかで、私はそのどちらもできなかった。電子回路が本当に好きだったんだ。
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父は最初にアマチュア無線をやった一人だった。真空管に電気を通した時のことを憶えてたそうだ。君たちはコンピューターやディジタル機器と一緒に育って、そういうのが自然だろう。同じように、私は電子回路と一緒に育って、そういうのが自然だった。父から見れば、やたら最先端だったかも知れないが、
食卓のトランジスターからテルミン (*) に興味が移ったのは、どうしてですか。
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マンハッタンの世界貿易センタービルがあった場所には、もともと電子パーツのマーケットがあったんだ。東京には今でもアキハバラっていう同じような一角がある。抵抗、真空管、マイクロプロセッサー、何やかやを売る小さな店が軒を連ねてた。
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私はニューヨークのブロンクス理科高校に通っていた。素晴らしい学校で、科学の色々なことを学ぶことができた。おまけに、オタクでもいじめられることがなかったしね (笑)。
(*) 世界最初の電子楽器、かな。モーグ社も、近頃はEtherwaveやThereminiって名前で、製造している。
マンハッタンに「アメリカの秋葉原」があったってほうが衝撃だな (笑)。
ちなみに、「ムーグ」じゃなくて「モーグ」だって件は、Wikipediaにも詳しく書いてある。
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