ケヴィン・エアーズ、「The Soft Machine」を語る (1/2) (自ら代表作を語る (1/9))
これも「Uncut」誌。2008年10月の記事がウェブに掲載されたもので、ケヴィン・エアーズがザ・ソフト・マシーン、ソロ、ブライアン・イーノたちとの共作とか、代表的な8枚のアルバムについて語っている。エアーズはこの後、2013年2月に亡くなった。
→ Uncut | Kevin Ayers - Album by Album
ザ・ソフト・マシーン「The Soft Machine」(1968)
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当時、ロンドンでジョー・ボイドとかキム・フォーリーとか、大勢の変人たちとデモ・セッションをやってた。ジミ・ヘンドリックスが気に入ってくれたのは、俺たちが変人だったからだろうな。メンバーそれぞれのパックグラウンドや、てんでんバラバラな音楽や文学の影響を考えると、実に変てこな組み合わせのバンドだった。ヒットを出そうなんて、思ってもいなかった。全員がイギリス人の中産階級で、俺自身はマレーシアからの帰国子女だったけど。
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カンタベリー・サウンドって言われてるが、7人くらいの仲間で作ったんだ。マイク・ラトリッジ (オルガン) とロバート・ワイアット (ドラムス) は同じ高校だった。俺はマレーシアから戻ってきて、恐ろしく退屈な (原文は「boarding」だが、タイプミスでは) 学校に通ってた。似た者同士だね。カンタベリーはそんな大きな町じゃない。ジャズとか絵画とか文学とか、何であれ、趣味が合ったんだ。
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俺たちは、以前にやってたザ・ワイルド・フラワーズってバンドで基礎を身につけて、そうしたら、俺やヒュー・ホッパー (ローディーからベース担当) が曲作りの中心になっていった。デーヴィッド・アレンって奴がいて、俺たち誰もがすごい影響を受けたが、オーストラリア人だったせいで (実際には麻薬所持のせいで) イギリスに戻れなくなり、それで、ザ・ソフト・マシーンはトリオでツアーをこなすことになった。高速道路のM1やM4であっち行ったりこっち行ったりしたが、売れなかったね。だが、その頃にサウンドやアイデアの基本を作り上げた。
デビュー当時のザ・ソフト・マシーン (当時は「The」が付いていた) はジミ・ヘンドリックスのアメリカ・ツアーで前座を務めていて、このファースト・アルバムはその合間にニューヨークで録音された。
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