ロバート・プラント、最近の心境を語る (4/7)
「Uncut」誌サイトの2014年9月、「Lullaby and... the Ceaseless Roar」リリースに合わせた記事より。ただ、旅の話とかが主で、音楽の話はあまり出てこないので、念のため。
→ Uncut | All the Old Gods Are Long Gone. But Still... - An Interview with Robert Plant
Bron-Yr-Aurについて:
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人里はなれた場所だ。ずいぶん行ってない。土地の人たちが俺に、あそこを買い取ってくれ、ってうるさいんだ。日本やあちこちからやって来るファンの巡礼に、彼らはもううんざりしてるんだよ。
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イングランドの歴史とウェールズの歴史の違い、イングランドの詩とウェールズの詩の違い、それは「あこがれ」や「恋しさ」(longing) のあるなしだ。ウェールズ語じゃ「hiraeth」だったと思う。ただ悲しいんじゃなくて、寂しいとか、手が届かないとか、もやもやしてるとか、そんな含みがある。変に聞こえるかも知れないが、ああいう場所にいると、何か隠れてる、理屈じゃ説明できない何かが見つかる、そんな気分になってきて、それが美しいんだ。
曲作りについて:
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歌を作り始めた頃は、ディオン・アンド・ザ・ベルモンツ (アメリカの1950年代の白人ボーカル・グループ) にハマってて、それからチャック・ベリーやハウリン・ウルフあたりからもちょっと歌詞を頂いてた。1967から68年、ちょうどツェッペリンが成功した頃だ。まだどうしようもない若造で、どんなふうに聞こえるかしか気にしてなかった。「Oh baby!」って歌って、聴く人をおじけづかせられれば、それでよかったんだ (笑)。かなりやれてただろ。
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(Bron-Yr-Aurで「Led Zeppelin 3」の「That's the Way」を作って) 俺は成長した。歌詞の面でね。ベトナムのこと、パリ空襲 (第二次世界大戦の?) のこと、あれこれ気にするようになった。初めて父親にもなった。だが、自分をどう表現すればいいか、ちっとも判らなかった。もしサンフランシスコあたりに住んでたら、とっくに判ってただろうな。あれだけ社会的な強力な発言が相次いでたんだから (1960年代後半の政治的ムーブメントのことを言っている)。だが、(イギリスの) ブルース・ロック・ムーブメントの中じゃダメだよ。黒人のガキみたいな歌ばかりで、それはそれでいいけど、詩ってより説明だよな。最高のミュージシャンに囲まれてたわけだけど、俺は何かを語れるような意識や精神を全く持ってなかった。それがようやく、ほんのちょっとずつ、やって来たんだ。
Bron-Yr-Aurは、日本じゃ「ブロン・イ・アー」って訳されてるけど、あえて原語。記事には、プラントは7歳の時に初めて訪れていて、1970年にペイジを連れてった、とある。
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