ロバート・プラント、最近の心境を語る (5/7)
「Uncut」誌サイトの2014年9月、「Lullaby and... the Ceaseless Roar」リリースに合わせた記事より。ただ、旅の話とかが主で、音楽の話はあまり出てこないので、念のため。
→ Uncut | All the Old Gods Are Long Gone. But Still... - An Interview with Robert Plant
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Bron-Yr-Aurで俺はようやく、何かの一員だ、何かの役に立ってる、そういう実感が持てるようになったんだ。大切な心の支えだよ。それさえあれば、もう宇宙のどこへでも行ける。
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俺たちのグルーブにハマってくれてる聴衆が、もう大勢いた。なので、そろそろ違う色合いを出せると嬉しいかもなって思い始めた。「Led Zeppelin 2」の路線をただそのまま続けても、おそろしくパワフルなアルバムは作れただろうけど、俺たちには何の意味もない。それで、「Led Zeppelin 3」の後は、もう圧倒的な破壊力になった。まぁ、パーシーは「霧ふり山脈 (Misty Mountains)」(これもトールキン用語) に避難することができたけどな。化粧したりせずに、イスタンブールでうだうだするとか。それで現実の大地の感触を再確認してたんだ。
ツェッペリンのピークの頃は、旅なんかできなかったんでは、と聞かれて:
- いや、そんなことはない。ぼろいジープに家族と犬を載せて、荷物もろもろを積み込んで、Bron-Yr-Aurに向かえば、もうオフだ。
プラントの放浪癖は「退屈な繰り返し」が大嫌いだからで、プライオリィ・オブ・ブライオンもその一つの現れでは、と聞かれて:
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あれは、ペイジとやった「Walking into Clarksdale」のツアーがどうにも不満だった、その反動だ。巨大なアリーナを嫌ってほど回ったが、(ツェッペリン当時の) 昔と何も変わらなかった。自分がどこにいるか、自分が何者か、どれが何なのか、何のためか、心のこもったものが何かあるか、まるで判らなくなる。なので、離れることにしたんだ。レストランに裏口から入ってって、客がデザートとか食べてる前で、ビリー・フューリー (1950年代イギリスのプレスリーもどき) なんかを歌う。誰も聴きほれたりしてくれなくていい。俺の逃避行だったんだ。
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ただベルトコンベアに乗っかってるだけじゃ、何の意味もない。ヘドが出る。
プラントはプライオリィ・オブ・ブライオンについて、当時のインタビューでも同じようなことを言っている。
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