コージー・パウエル、ハマーなどを語る (自らのキャリアを語る (3/12))
1998年に不慮の事故で亡くなってしまったコージー・パウエルだけれども、これは1996年のインタビューとのこと。Joe Geesinってロック評論家の個人サイトの記事より。かなり貴重。今回はレインボーまでの間のセッション活動やハマーの話。
→ Joe Geesin - Freelance Music Journalist > Cozy Powell Interview
ドノヴァン (当時のシンガー・ソングライター) とも仕事してますね。
- ミッキー・モストに言われたんだ。「私はミュージシャンを大勢プールしてる。きみもセッション・ミュージシャンとして、私のために働いてくれないか」。もう憶えきれないくらい沢山、ミッキーの仕事をしたよ。ドノヴァンとの仕事もそういう一つだ。
チック・チャーチル (テン・イヤーズ・アフターのキーボード奏者) のアルバムで、バーニー・マースデンと知り合ったんですか。
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たしか、そうだ。奴は当時ワイルド・ターキーにいた。そして、ベドラムで一緒にやって、俺のバンド、ハマーに参加してもらった。
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「Dance with the Devil」は、CCS (Collective Consciousness Societyってバンド) のセッションをやってた時に、ミッキーが「ドラムスのシングル盤を作ってみないか」って言ってきて、リフのざっくりしたアイデアをくれた。それで20分くらい、ちょっといじくってみて、で、すっかり忘れてたんだよ。そしたら6週間後に、バックボーカルなんかも付けて、トラックを完成させたって言うんだ。放っといたら、1ヶ月後にチャートに上がってきてるじゃないか (英国で最高3位)。「Top of the Pops」に出演してくれなんて言われるし、大変なことになっちまった。
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そうやってインストゥルメンタルのシングル2枚がいい線いってたら、ミッキーが次はボーカル入りのバンドにしようって言い出して、それで、コージー・パウエルズ・ハマーになったんだ。なんだかちょっと居心地が悪かったな。ドラマーとして後ろにいたのが、いきなり脚光を浴びて、一家の主だよ。楽しかったけど、注目の的にはなりたくなかった。自分のバンドだなんてね。そんなビッグスターになるのは、性に合わない。バンドで一緒にやるなら、みんな同じ扱いを受けるべきだし、同じ稼ぎじゃないとな。
ストレンジ・ブリューは短命に終わりましたね。
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すごいアイデアだったんだけど、うまく行かなかった。ハンブル・パイのグレッグ・リドリー、クレム・クレムソン、それに俺の3ピースで、クリームを作ろうってしたわけだ。3人ともクリームの音楽が大好きだったんだ。グレッグもクレムも、楽器も弾けるし歌えるし。で、さあ始めるぞってしてたら、ジョン・ハイズマン (同世代のドラマー) がクレムを高給で (コラシアムに) 連れてっちまった。ジョンを憎んだよ。俺の夢を潰しやがって。その後は仲直りして、今じゃ良い友達だけどな。
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もう何もかもうんざりして、1年くらい休んだほうがよさそうだって思った。ちっと頭を冷やさないとな。それで、バイク・レースに出たりしてたわけだ。
うむむ、このストレンジ・ブリュー (Strange Brew) って、うまく行ってたら、かなり面白くなってたんでは。
ジョン・ハイズマンって、テンペストってハードロック・バンドでアラン・ホールズワースを世に送り出したり、その後のコラシアムIIってフュージョン・バンドでゲイリー・ムーアを起用した人でもあるけど、今は何してんだろな。
次回は、レインボーの話。
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