ロバート・プラント、最近の心境を語る (2/7)
「Uncut」誌サイトの2014年9月、「Lullaby and... the Ceaseless Roar」リリースに合わせた記事より。ただ、旅の話とかが主で、音楽の話はあまり出てこないので、念のため。
→ Uncut | All the Old Gods Are Long Gone. But Still... - An Interview with Robert Plant
インタビューの場所、ラドロー (Ludlow。今の住処にもほど近い) の街について:
- ここには、小さい頃、祖父母がよく連れてきてくれた。ティプトン (近くの小さな町) のテラスハウスに住んでたんだ。雰囲気が素晴らしかった。祖父も誰も彼もみんな、何だかちょっとイカれててね。祖父は、ロバート・シュロプシャー・プラントって呼ばれてて (シュロプシャーはこのあたりの州名)、ブラック・カントリー・ブラス・バンドってのを作ってリーダーをやってた。シリアスなバンドで、けっこう有名だったよ。そこでトロンボーンを吹いてたんだ。他にも、無声映画のバックのオーケストラで、バイオリンやピアノを弾いたりしてた。
外国への興味のきっかけについて:
- 昔、切手を集めててね。そのおかげかも知れないって思う。遺跡や城や山々や砦、そういった切手や絵葉書がよその国のことを教えてくれたんだ。だが、やっぱりラジオでザーザーいう中から流れてきた音楽だな。1960年代初めのAmerican Forces Network (日本では当時はFENと言っていた) がアメリカに手招きしてくれた。
1968年秋のレッド・ツェッペリン (当時は契約の関係でまだザ・ヤードバーズ名義だった。プラント20歳) 最初の世界ツアーについて:
- それまで国内ばかりで、国外に出た最初だった。まずデンマークに飛んだんだが、飛行機内でジョン・ボーナムと俺は、あんなに沢山のナイフやフォークを見たことがなくて、バッグに詰め込みきれないくらい盗んで持って帰ってきた。バンド・オブ・ジョイの頃は、食うや食わずのその日暮らしだったからな。
プラントが記者とラドローの街角を歩いている時、地元のフェスティバルのポスターに「出演:ショワディワディ、デイヴィッド・エセックス、ザ・ベイ・シティ・ローラーズ、ケン・ドッド (コメディアン。シンガーソングライターでもある)」って書いてあるのを見て、「ケン・ドッドは見に行ってもいいかな」ってボソッと言った、なんて小ネタも出てくる。そこはやっぱり「俺に歌わせろよ」では (笑)。
なお、この後は1971年のモロッコ行きの長い話が始まる。
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