ジェフ・ポーカロ、トトなどを語る (2/5)
1992年に38歳の若さで亡くなったジェフ・ポーカロについて、「DRUM! Magazine」誌の1997年の記事が2012年10月にウェブに掲載されたもの。二部構成になっていて、前半は関係者が本人を偲ぶ言葉が集められている。後半は、本人の生前ほぼ最後のインタビュー。おまけとして、ドラム・キットのセッティングのことが書いてある。
→ DRUM! Magazine | Jeff Porcaro's Last DRUM! Interview
(ハル・ブレインの代役を務めたのは) 何歳の時だったんですか。
- 17だ。彼らはアルバムを作ろうとしてて、最初は誰かスタジオ・ミュージシャンにやらせるつもりだったらしい。けど、私に連絡してきて、2曲で叩いて欲しいって言った。他の曲はハル・ブレイン、ジム・ゴードン、ポール・ハンフリーがやってて、私には「ジム・ケルトナーと一緒にやってもらうよ」って言うんだ。ケルトナーって、私の憧れだった。それから一月くらい、土曜日ごとにケルトナーとリハーサルだ。本当に素晴らしい経験だった。自分のタイム感って、神経質で前のめりになりがちだったんだけど、「ほら、こうやってレイドバックするんだ」、彼の一挙一動を見ては、文字通り真似してた。その経験が全ての始まりだ。トム・スコット、ラリー・カールトンとか、ロサンゼルスで最高のスタジオ・ミュージシャンが集まってて、そんな中で私はまだ高校生だった。
次がソニー・アンド・シェールのバックバンドですか。
- そのアルバムに参加してたボビー・トレスってコンガ奏者が、ジョー・コッカーなんかともやってた人だけど、ペイチと私をレオン・ラッセルの家に招いてくれてね。週末にデモを作ったんだ。それにディーン・パークスがギターで、デイヴ・ハンゲイトがベースで参加してた。たまたまロサンゼルスに来てたからだが、当時は誰も知らなかった。彼らがソニー・アンド・シェールのバックバンドをやってて、1年後に私を呼んでくれたんだ。もうすぐ高校卒業って頃だった。なので、訪ねてって、オーディションを受けて、仕事させてもらうようになった。そうやって、プロになったんだ。
ちょっと古い記事だけど、こんなのを載せとこうかな。
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