色んな関係者、ジェフ・ポーカロを語る (1/3)
1992年に38歳の若さで亡くなったジェフ・ポーカロについて、「DRUM! Magazine」誌の1997年の記事が2012年10月にウェブに掲載されたもの。二部構成になっていて、前半は関係者が本人を偲ぶ言葉が集められている。後半は、本人の生前ほぼ最後のインタビュー。おまけとして、ドラム・キットのセッティングのことが書いてある。
→ DRUM! Magazine | Jeff Porcaro's Last DRUM! Interview
エディ・ヴァン・ヘイレン
- まさにグルーブ・マスターだった。
ドン・ヘンリー
- これまで会った人の内で、最も思いやりのある一人だった。彼がスタジオに現れると、そのパッションで一気に雰囲気が明るくなる。どんなに遅い時間になっても気にしない。金にも少しもこだわらない。大切なのは音楽なんだ。持てるもの全てを出すことなんだ。彼といるだけで、とてもリラックスできる。最高のドラマーの一人だよ。
ジョー・ポーカロ (父)
- ジェフリー (ジェフの本名) は実に上達が速くてね。自分のリハーサルに連れてって、休憩時間にドラムスで遊ばせたりしてた。まだペダルに足が届くか届かないかくらいだったな。ポール・ハンフリー (父のドラマー仲間) が言ってたよ。「このチビはとんでもない奴になるぞ」。父親から見て、彼はただ格好よく振る舞いたかっただけなんだろうけど、その裏には、確かに何か特別のものを持ってたんだ。
マイク・ポーカロ (弟)
- 僕たち兄弟はみんなドラムスから始めたんだよ。キットは初めは喧嘩の舞台だったりしたけど、大きくなるにつれて、素晴らしいものに変わっていった。夕方、父が帰ってきて、ソファーでくつろいで、マイルス・デイヴィスをかけたりする。僕たちは父のキットで順番にシンバルを叩いては、「お父さん、僕のグルーブをよく聴いてよ」(笑)。その後、僕はベースに、スティーヴはピアノに移ってったけど。
スティーヴ・ポーカロ (弟)
- 中学の頃から、もうツボを心得てたね。学校のバンドにはドラマーが二人いた。一人は派手なソロばかりやってたけど、ジェフはそんなのはとっくに卒業してた。
ジョー・ポーカロ
- ジェフリーのことを誇らしく思った瞬間は山ほどあるが、中でも格別だったのは、高校時代のことだ。ハリウッド・ボウルでバンド対抗コンテスト大会があって、ジェフが高校でやってたバンドも出場して、勝った。それだけじゃない。審査員が各バンドから優れたメンバーを選んで、その場でバンドを組ませたんだが、ジェフもそれに選ばれた。そして、ショーが全て終わって、勝ったバンドを表彰する段になって、審査員がこう言った。「今回初めて、最優秀ミュージシャンを一人選ぶことにしました」。ヘンリー・マンシーニ、クレア・フィッシャー、ラロ・シフリン、そうそうたる審査員たちが選んだのがジェフだったんだ。本当に、本当に誇らしかったよ。その時からジェフは、もう町じゅうの話題になった。
ジェフ・ポーカロについては、ドラム教室の先生という人が書いてる記事が、なかなか興味深い。
→ スタジオライト ドラム教室 | マイ・フェイバリット・ドラマー:ジェフ・ポーカロ
ここに話の出てくるポーカロの教則ビデオは、今ではYouTubeで丸ごと見られる。30分と短いが、中身はめちゃくちゃ濃い。
→ YouTube | Jeff Porcaro (TOTO) Super Technical Approach (with Japanese subtitle) (1989) (日本語字幕付き)
次回は、トト関係者が語るポーカロの思い出。
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