コージー・パウエル、ELPなどを語る (自らのキャリアを語る (8/12))
1998年に不慮の事故で亡くなってしまったコージー・パウエルだけれども、これは1996年のインタビューとのこと。Joe Geesinってロック評論家の個人サイトの記事より。かなり貴重。今回は渡り鳥になった理由やELPの話。
→ Joe Geesin - Freelance Music Journalist > Cozy Powell Interview
幾つものバンドを渡り歩いてきてますよね。
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レインポーは5年で辞めたが、そういう成り行きだったんだ。もうリッチーがバンドを信じてるとは思えなくなったんだよ。俺が辞めた後で奴らは成功したけれども、以前ならやれたような演奏をリッチーは全くやらなくなった。俺は変化が必要だと思ったんだ。
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マイケル・シェンカー・グループは、ドラッグの問題があんまりひどかったんで辞めた。俺も引っ張り込まれてバカみたいになるし、マネージメント側はバンドをめちゃくちゃにするし、俺たちは互いに殺し合ってたみたいなもんだ。ホワイトスネイクに移って、ずいぶんマシになったよ。ホワイトスネイクは契約の問題で辞めた。
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ELP (エマーソン・レイク&パウエル) がポシャったのは、仕方ないな。レイクとエマーソンは、もう何百万回となく喧嘩してて、それなのに、アルバム2枚とツアーをやるって契約しちまったんだ。アルバム2枚の契約金を前払いで受け取ってんのに、575回めの口喧嘩で、もう一緒には仕事できないなんてことになって、その二人の間で俺は、契約したばっかりなのになー、とか考えてたわけだ。
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ツアーは最高だったよ。俺の音楽人生の中で最大のチャレンジだったって言っていい。俺にとっては本当に楽しかった。だが、グレッグとキースのせいで、うまく行かなかったねぇ。彼らはその後もまた組んだりしてるが、我慢ならない相手と、なんで一緒に仕事できるんだ。もちろん、大金を積まれたからだ。二人とも金に困ってたんで、受けないわけにはいかなかったんだ。
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キースは偉大なミュージシャンで、俺自身も少しばかり刺激を受けた。グレッグも偉大なミュージシャンで、素晴らしいヴォーカリストだ。だが、ある意味、自分自身が最悪の敵、みたいなところがある。
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あんなミュージシャンたちは見たくない。どれだけ悲しくなるか。さっさとくたばってくれ。
次回は、フォースフィールドやシンデレラの話。
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