ジェフ・ポーカロ、トトなどを語る (1/5)
1992年に38歳の若さで亡くなったジェフ・ポーカロについて、「DRUM! Magazine」誌の1997年の記事が2012年10月にウェブに掲載されたもの。二部構成になっていて、前半は関係者が本人を偲ぶ言葉が集められている。後半は、本人の生前ほぼ最後のインタビュー。おまけとして、ドラム・キットのセッティングのことが書いてある。
→ DRUM! Magazine | Jeff Porcaro's Last DRUM! Interview
プロのドラマーとしてやっていく秘訣は、どうやって身につけましたか。
- 誰だってやれるよ。私は運が良かっただけだ。いい時にいい場所にいただけだ。仕事を頼まれたら、いい仕事をする。そうすれば、評判が広まっていく。毎日が勉強だ。それの積み重ねが経験になる。経験を積めば積むほど、上手くやれるようになっていく。
スタジオ・ミュージシャンになる上で、お父さんの助けはありましたか。
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それがねぇ、全然なかったんだ。父もそう思ってるはずだ。私がドラマーになるなんて、思ってもいなかったから。もしも18歳の息子がいて9歳の時からレッスンしてないってなったら、誰だってそう思うだろ。自分は画家になりたかったんだよ。ドラムスなんて、軟弱な奴がただ食い扶持を稼ぐための手段だって思ってた。
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父はTVや映画で活躍してたわけだけど、自分は、父のことも私のことも知らない人たちを通じて、この世界に入ってきたんだ。高校の時に、ペイチたちとRural Still Lifeって名前のロックバンドをやってた。そうしたら、あるジャズクラブのオーナーが、日曜の昼に中高生向けパーティで演奏して欲しいって言ってきてね。当日はA&Mレコードのジュールス・チェイキンが子供と一緒に来てて、私に、今度リハーサルをやるバンドで叩いてくれないか、って言うんだ。ジャック・ドハーティのビッグバンドで、ジャックはザ・カーペンターズのプロデューサーだ。正規のドラマーはハル・ブレインだけど、別のツアーに出てたんじゃなかったかな。楽譜なんてろくに読めなかったけど、「いいですよ」って答えた。そうしたら、そのバンドで何ヶ月かやらせてもらえた。
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