トニー・ヴィスコンティ、デイヴィッド・ボウイのベルリン三部作を語る (3/5)
ボウイの最新作「The Next Day」もプロデュースしたトニー・ヴィスコンティが、ボウイのベルリン時代の三部作「Low」、「"Heroes"」、「Lodger」について語っている。イギリス「Uncut」誌の2001年3月の記事より後半部分。
→ Uncut Interviews David Bowie and Tony Visconti on Berlin
「"Heroes"」
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「Scary Monsters」までは、どのアルバムもデモを作るところから始めてたけど、録音し直さなくてもデモをちょっと編集するだけで出来上がりだってのが、だんだん判ってきたんだ。24トラックのテープにそのままコピーすればいいだけの、素晴らしい出来栄えの部分もあったりする。さすがに1テイクってことはないが、25テイクとか必要ない。せいぜい5テイクで済む。
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録音に使ったハンザ・スタジオ2は音響が美しかった。機材はどれも年代物で、よく手入れされてた。ベルリンの壁のそばで、エキゾチックな雰囲気だったね。仕事の後には、やることや行くところや人と会う機会が色々あった。才能があってクリエイティブなミュージシャンに囲まれて、幸運だったんだよ。後になって、U2が、私たちが何を作り出したのか、ハンザを見に行ったけど、何も見つけられなかったって聞いた。彼らはあの場所が好きになれなかったんだそうだ。
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ロバート・フリップは、日帰りしたってことになってるようだけど、本当は2日間いた。彼は驚異的だね。フリッパートロニクスをイーノが持ってたEMSシンセサイザー (VCS3) に繋いだら、もう震撼ものだ。「Heroes」の曲で、彼の録音は長くはかからなかった。まず1回演奏して、それを修飾したいんで、もう3トラックって言ってきた。それまで誰も聴いたことのない音だった。あのギターは息を呑むだろ。
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ミュージシャンとして卓越してるだけじゃなくて、彼はすごく面白い人物だった。ベルリンに一泊するかどうかってのを、婉曲に言うんだ。「余は今宵ここに友好のあかしの剣を振り下ろさん」。それを強烈なサマセット訛り (サマセットはフリップの故郷の近く) で言うもんだから、もう笑いが止まらなかったよ。
「U2が」ってのは、たぶん「Achtung Baby」の頃じゃないかな。
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