コージー・パウエル、MSGやホワイトスネイクを語る (自らのキャリアを語る (7/12))
1998年に不慮の事故で亡くなってしまったコージー・パウエルだけれども、これは1996年のインタビューとのこと。Joe Geesinってロック評論家の個人サイトの記事より。かなり貴重。今回はMSGやホワイトスネイクの話。
→ Joe Geesin - Freelance Music Journalist > Cozy Powell Interview
次にマイケル・シェンカー・グループに加わりましたね。
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ファースト・アルバムはサイモン・フィリップスが叩いたんで、彼らはサイモンと同じことができるドラマーを探してた。それである程度は絞り込まれてたってことだ。
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「Live at the Budokan」(「One Night at Budokan」のこと) のアルバムは良い出来だが、あの時は食中毒だったんだよ。日本に文字通り飛んだばっかりだったが、その時の機内食で、クルーやバンドの半分くらいが気分悪くなった。その中でも俺は最悪だった。会場には12,500人の観客、モービル録音設備もOK、司会が「レディース・アンド・ジェントルメン」なんて言い始めてる。なのに、俺はステージ裏でまだ吐いてた。死にそうな気分でステージに上がって、それで、なんであんな良いアルバムになったんだ。なんで俺はあんなことができたんだ。
ホワイトスネイクはオーディション無しで参加した唯一のバンドだって聞いてますが。
- そうだろうと思う。デイヴィッド・カヴァデイルとはお互いによく知ってて、オーディションは要らなかったんだ。イアン・ペイスが抜けたからだが、ディープ・パープルに移ったんだっけ。
いえ、ゲイリー・ムーア・バンドです。
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そうだったか。
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デイヴィッドと俺は、「Tilt」に入ってる「The Rattler」とか、一緒に何曲も作ったりもしたよ。そして、ホワイトスネイクの「Saints & Sinners」ツアーに同行した。ミッキー・ムーディ、コリン・ホジキンスン、ジョン・ロード、メル・ギャレイと一緒にな。
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「Slide It In」じゃ、コリンがベースを弾いてたが、途中でニール・マーレイが入ってきて、トラックの追加や差し替えをした。ジョン・サイクスも加入して、そしてツアーもやった。あの頃が音楽的にはホワイトスネイクの最盛期だな。1987年にはもっと稼いだが、「Still of the Night」なんか、俺は好きだけど、もろツェッペリンのパクリだって言われてるし。「Slide It In」が、ホワイトスネイクって言っていい最後のアルバムだ。その後は、セッション・ミュージシャンを集めてるだけで、もうホワイトスネイクっては言えない。俺たちみんなと同じように、ジョン・サイクスもクビになっちまったし。
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俺は契約に合意できなかったんで離れたが、本当に残念だった。握手 (合意) してもよかったんだが、オファーを受け入れなかった。もしも受け入れてれば、大金が転がり込んできてただろうよ。あのアルバム (1987年の「Whitesnake」のこと) は1700万枚も売れたんだから。
次回は、ELPなどの話。
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