色んな関係者、ジェフ・ポーカロを語る (2/3)
1992年に38歳の若さで亡くなったジェフ・ポーカロについて、「DRUM! Magazine」誌の1997年の記事が2012年10月にウェブに掲載されたもの。二部構成になっていて、前半は関係者が本人を偲ぶ言葉が集められている。後半は、本人の生前ほぼ最後のインタビュー。おまけとして、ドラム・キットのセッティングのことが書いてある。
→ DRUM! Magazine | Jeff Porcaro's Last DRUM! Interview
スティーヴ・ルカサー
- 最初に会った時のことは、よく憶えてる。彼が部屋に入ってくるなり、もうオーラ全開だった。生まれながらの「男の中の男」ってんで、高校じゃもう伝説だったし、誰ものあこがれで、誰もが友だちになりたがった。
ジョー・ポーカロ (トトの1983年のグラミー賞授賞式で、オーケストラの一員として演奏した)
- 団員のみんなが、微笑みながら私のほうを見てくれた。最優秀レコード (「Rosanna」)、最優秀アルバム (「Toto IV」)、次々に受賞して、私も最後にはくたくたになったが、オーケストラの誰も私を離してくれなかった。
スティーヴ・ルカサー
- 誰もが彼にドラムスを頼んできた。誰もがだ。彼に頼みさえすれば、もう曲が出来上がるって判ってたからだ。
デイヴィッド・ペイチ
- 一番早くテイクを完成させるのは、たいてい彼だった。リズムマシンがまだ無かった時代に、彼のタイム感とグルーブはベストだった。なのに、ビッグバンドのドラマー並みに、パワーも持ち合わせてたんだよ。
ちなみに、ルカサー、ペイチ、ポーカロ3兄弟はみんな同じ、ロサンゼルスのグラント高校 (Ulysses S. Grant High School) を出ている。前に、エディ・ヴァン・ヘイレンも同じ高校を出てるらしい、って書いたけど、エディは近くのパサデナ高校 (Pasadena High School) で、これはガセねただった。申し訳ない。
スティーヴ・ルカサーのジェフ・ポーカロへの気持ちについては、下の「関連の記事」にも出てくる。
うんちくを語ると (笑)、ルカサーはトトを結成するため、マイルス・デイヴィスからのバンド加入の誘いを断っている。これは本当。
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