トニー・ヴィスコンティ、デイヴィッド・ボウイを語る (3) (キャリアを語る (15))
プロデューサーのトニー・ヴィスコンティが、聴衆を前にしたインタビューで、これまでのキャリアを振り返って色々と語っている。「Red Bull Music Academy」が2011年にマドリッドで主催したもの。以前に紹介した 「ボウイのベルリン三部作を語る」 とかぶる箇所もあるが、できるだけ重ならないように紹介するつもり。
→ Red Bull Music Academy | Tony Visconti
ボウイとあなたの間の関係が実を結んだのは、その頃ですか。それとも「Scary Monsters」あたりからですか。
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だんだんだよ。実際のところ、「The Man Who Sold the World」の後、いったん彼とは別れた。お互い、うっぷんが溜まってたんだ。彼のマネージャーが心底から気に入らなかった。軽蔑すべき男で、嘘つきだし、我慢ならなかった。名前を言ってもいいが..... いや、やめとこう (たぶんアンソニー・デフリースのこと)。YouTubeに上げられちゃう (笑)。
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そんなんで、彼は「Hunky Dory」を、私の下でエンジニアをしてたケン・スコットと作った。いいアルバムだね。自分がプロデュースしなかった彼のアルバムの内では、一番好きな一枚だ。素晴らしい曲が次々に出てくる。再び一緒に仕事したのは「Diamond Dogs」からだ。ずっと連絡を欠かさなかったみたいに聞こえるかも知れないが、その数年間は、何度か電話で喋っただけだ。「Diamond Dogs」のコンセプトは、「The Man Who Sold the World」に似てる。ワイルドでクレージーでシュール。結局、ボウイのアルバムに関わったのは、全部で10枚かな。
「The Man Who Sold the World」からどれか、聴いてみましょうか。
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「She Shook Me Cold」。エリック・クラプトンの、何てバンドだったかな..... クリームだ。頑張ってクリームっぽくやってみた。
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ギターはミック・ロンソンだ。一緒に仕事し始めたばかりだった。まず最初にマーシャルを買わされたよ。あれ、違ったかな。とにかくベース用に、200Wヘッドと15インチのスピーカーが4つだ。当時としてはバカでかかった。そうして、「音量マックスだ」って言われた。とにかくラウドなギタリストだった。彼のおかげで、我々はロックンローラーになったんだ。
関係ないけど、今日のおまけ:
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