アニカ・ニレス、ドラマーになった経緯を語る (4/4)
2026年のラッシュ復活ツアーに故ニール・ピアトの後任として抜擢されて、一躍「時の人」(死語か) になってしまったアニカ・ニレスが、若い時分の「もがいていた頃」のことを語っている。Drumeo ってドラムスのレッスンのサイトから、2023年5月の記事。
→ Drumeo | It's Never Too Late - Anika Nilles
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医者に通い始めたのは、この頃からです。ステージ恐怖症が大きな問題でした。こんな下手な演奏じゃ、拍手してくれる聴衆に「有難う」なんてとても言えない。あなたの演奏が気に入ってますなんて言葉、到底受け入れられない。ほんの3秒だけのミスが、5分にも感じられる。自分に辛く当たってました。自分の失敗やダメなところばかり見てました。
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克服するのに3年かかりました。マイネル社 (シンバルなどのメーカー) からノルベルト・ゼーマンが来て、毎晩 (の演奏) を録画しては後から二人で見直すってのを繰り返しました。そして、優れた意見や励ましを通じて、失敗をあまり深刻に受け止めないようにしてくれました。自分は下手な演奏だって思っても、観客も同じように感じるとは限らない。そういったことが判ってきて、恐怖を乗り越える手助けになりました。
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そして、練習と録音でのふり返りを繰り返す内に、やれるなんて思ってもなかった曲が演奏できるようになってきていたのです。それが自信につながって、さらに挑戦できるようになりました。失敗することもあれば、成功することもある。何か困難を乗り越えるごとに、それが私をさらに前進させてくれるんです。
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こういう精神的な壁を克服するには時間がかかります。若いミュージシャンに囲まれて、自分は年を取りすぎてるって感じたとしたら、自分には別の才能があるって思えばいい。彼らと勉強してた頃、彼らはまだ社会性が乏しくて、他人とどう接すればいいか判ってないことに気づきました。彼らが練習に時間を費やしてた間に、私は別の経験を積んでいたのです。どっちも重要です。社会性が乏しかったら雇ってもらえないでしょうし、一度は雇ってもらえたとしても次はないでしょうし。
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ドラマーになってどうしたいかをちゃんと考えてる人は、あまりいません。多くの人はフルタイムの先生になって満足しています。私は三つの道を考えていました。個人レッスンをすること、ワークショップを開くこと、ライブで演奏することです。ある時、フランクフルトの銀行員で、仕事のストレスから、辞めて先生になりたいって人に教えたことがあります。彼はかなり上手で、結局は、別の銀行で同僚にドラムスを教えるようになりました。彼らにとってドラムスは、ヨガみたいなものだったんでしょうね。
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音楽業界は急速に変化していて、ますます可能性が増えてきています。私の場合、ソーシャルワーカーとしての、相手をよく見て考え方を知ったりといった経験を、教育者としての仕事に活かせています。普段の仕事で培ったスキルをあなたの情熱と組み合わせる道、そういうのを考えてみるのはどうですか。
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肝心なことは、プロのミュージシャンになるのは、いつでも可能です。遅すぎるなんてことは決してありません。誰もが口にする言葉ですが、本当です。
ここまで赤裸々な記事はなかなか見たことがないな。応援したくなる。あのニール・ピアトの後を継ぐのは大変だろうし、タイム感とかグルーヴとかまるで違うだろうし、頑張って欲しい。ラッシュのツアー・サポートの後、どうするかは判らないけど。
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