アニカ・ニレス、ドラマーになった経緯を語る (1/4)
2026年のラッシュ復活ツアーに故ニール・ピアトの後任として抜擢されて、一躍「時の人」(死語か) になってしまったアニカ・ニレスが、若い時分の「もがいていた頃」のことを語っている。Drumeo ってドラムスのレッスンのサイトから、2023年5月の記事。
→ Drumeo | It's Never Too Late - Anika Nilles
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失敗の連続が最後は夢の実現につながるって判ってたら、失敗をもっと気楽に受け入れられてたかも知れません。
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中学校を卒業した16歳の時、「ドラマーになりたい」って両親に言ったら、「だめ、だめ、もっと真面目なことしなさい」。なので、5年間ソーシャルワーカーの勉強をして、幼稚園の保育士になることになりました。楽しかったし、けっこうクリエイティブなこともあったし、いい職場を紹介してもらえました。だけど、よくよく考えたんです。この仕事を受けるか、それともドラマーになるか。
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バンドも続けてたし、レッスンも受けてたし、オフの合間には定期的に演奏してました。だけど、5年間も勉強してきたんだし、この仕事をしばらくやってみるべきかな、って思ったんです。居心地はよかったし、その内に幼稚園を任されるまでになりました (元記事には当時の写真あり)。
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ただ、まだ20代半ばなのに、すっかり歳とったように感じてて、憧れのドラマーたちを見てると、若くて神業のような演奏をしてる。この歳じゃ、もう彼らのようなレベルには決してなれない。取り残されたような気分でした。でも、私の目標は有名なドラマーになることでも、ビッグバンドでかっこよく副業することでもなくて、教えたりライブしたりワークショップしたりで食べていきたい、それだけだったんです。
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地元の音楽学校は授業料が高く、個人教師は私だけだったので、大勢の生徒を抱えるようになっていきました。幼稚園はパートタイムになりましたが、もう何の魅力もなくなってたので、かえってよかったです。
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そして、音楽の専門学校を受けることにしたのですが、自分のバンドの曲を幾つか演奏できればいいくらいに考えていて、何も準備してませんでした。そうしたら、予想外の質問ばかりで、演奏もぼろぼろでした。バズロールやパラディドルといった用語さえ知らなかったんです。
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落ちました。当然です。
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とっても落ち込みました。夢を追うだけの価値がないんだとか、自分はプロになれるだけのものを持ってないんだとか、感じました。ですが、幼稚園の保育士に戻りたくもなかったのです。
結局また時事ネタだな。原題の「It's Never Too Late」は、キャロル・キングの名曲「It's Too Late」のもじりか?って気も一瞬したけど、「遅すぎるなんてことは決してない」、つまり「夢を諦めるな」みたいな意味で、レッスンのサイトにはうってつけな記事かも。
本人はプロの間では2010年代から世界的に注目されてたそうだけど、知ったのはやっぱりジェフ・ベックがジョニー・デップと組んだ2022年のツアーでだ (残念ながら、ジェフ最後のツアーになった)。Char+布袋+松本孝弘の今年2月のジェフ・ベック・トリビュート・コンサートでも、ロンダ・スミス (ベース) と一緒に来日してサポートを務めてた (見に行ってないけど)。ラッシュの残り二人も、ジェフ・ベックのツアーで本人を見て感心した、みたいなことを言ってる。
なお、苗字の「Nilles」の発音は、「ニルス」とか「ニールズ」とか色々呼ばれてるけど、英語版 Wikipedia によると「ニーレス」または「ニレス」(ニにアクセント) なのだそうだ。あげく、こんな音源まで出現したんで (笑)、ネイティブの人たちも困ってたのかも。
→ YouTube | How to Pronounce Anika Nilles
ちなみに、お父さんも伯父さん (または叔父さん) 二人、そして従兄弟もドラマーとのこと。それと、ドイツの教育制度は日本とはずいぶん違っていて、大学教育に至る高等教育と中世の徒弟制度から続く職業教育が、かなり若い段階から分かれる。
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