スコット・ハルピン、キース・ムーン代役事件を語る (1/2)
キース・ムーンは1973年11月20日のザ・フーのサンフランシスコ公演で、ステージ上で昏睡状態におちいってしまい、聴衆の一人がステージに上がって、代役でドラムスを叩くことになった。その当人のインタビュー。当時、19歳だったそうだ。「DRUM! Magazine」のたぶん1989年10/11月号の記事がウェブに掲載されたもの。
→ Scot Halpin: Keith Moon's Substitute
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友だちが誘ってくれたんだが、チケットを1枚しか持ってなかったんで、8時間前に会場に行って、もう1枚を何とか手に入れた。そして、ステージ近くの真ん前に陣取ったら、公演が始まってすぐ、キースがグダグダなのが判った。2曲ばかりやって、「Won't Get Fooled Again」の途中で、いきなりドラムキットに突っ伏して、気を失ってしまったんだ。実際には、2回気絶した。最初の時、ザ・フーはステージから降りて、その間に友だちと俺はステージの左そでのほうに寄ってった。バンドは15分くらいで戻ってきたが、ムーンはもうよれよれだった。友だちは俺を前に押して、「お前が叩いてこいよ。お前ならやれるぜ」。こいつのせいなんだよ。
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もうキースはわけ判んなくなってて、ステージのこっち側に来て、警備員を相手に暴れ始めた。そうしたら、プロモーターのビル・グレアム (フィルモアのオーナーなどとしても有名) が、いったい何ごとだってんで、出てきた。友だちが俺をさらに前に押し出したら、グレアムがこっちを見て、「お前、叩けるか?」。次に憶えてるのは、グレアムが俺をステージ裏に連れてったことだ。そして、ドラムス担当のローディーに引き合わせて、で、俺はもうドラムキットの後ろにいた。ロジャー・ダルトリーが振り向いたら、俺がいたってわけだ。ピート・タウンゼントは群集に向かって「誰かドラムスを叩ける奴はいないか?」って呼びかけてて、誰もが手を挙げてた。ダルトリーは俺の名前を聞いて、で、聴衆に紹介したんだ。
その時の映像がYouTubeに上がってる。5:30あたりからがタウンゼントの呼びかけだ。キース・ムーンはアルコール中毒、ドラッグ中毒が進んでて、精神も身体もまともな状態じゃなかった。ドラムス担当のローディーとかに代わりに叩かせてもよかっただろうから、これって究極のファン・サービスか?
→ YouTube: Keith Moon Collapses at Cow Palace
なお、元記事のタイトルやURLは、当然ながら、ザ・フー「Substitute」のもじり。
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