ロバート・フリップ、イーノやボウイやクリムゾンを語る (2/4)
ロバート・フリップが過去のエピソードとかを振り返ったインタビュー。全体はかなり長いようだが、雑誌 (Uncut誌 2020年8月号) を買わないと読めない。これは宣伝用の抜粋版。
→ Uncut | Robert Fripp on Eno, Bowie and King Crimson
キング・クリムゾンを1974年に解散させた後、ご自身を「小編成・自律的・機動的・理知的なユニット」と称して、イーノや色んな人たちと組んで自由に実験していたと思います。たいへん魅力的で、否定する人など少なかったのでは。
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なんて素晴らしい前向きな見解なんだ。いいかな。観客が組みたいって言ってきたら、どうする。観客が君の言うことを何でも聞くと思うかな。例えばの話、君がステージで歩き回る。それだけで、もう危機的状況だ。観客をコントロールするなんて、できるはずがない。それでも彼らに感謝しないといけないんだ。
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1990年代から2000年代にかけて、特にスタジアム級のイベントで、全体をどうやってコントロールするか、色んな技術が試されてきた。そりゃ、そうだろう。10,000人とか80,000人とかが怒り狂ってきたら、もう危なすぎる。1973年・1974年のイタリアでの経験から言ってるんだよ。
何があったんですか。
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ミラノのスタジアム公演でのことだ。観客に紛れてた極左勢力が、入場ゲートを全て打ち壊した。音楽は人民のために無料であるべきだってね。キング・クリムゾンはアンコールしないことにしたら、観客が荒れ狂って、ケーブルを全て引きちぎったりしたんで、マシンガンを構えた武装警察がステージの前に立ち並んだ。
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それで、我々はステージに戻った。困難な局面に際しては演奏し続けろって格言だな。アンコールすることにして、観客は治まり、警察もステージから離れた。で、ビル・ブルフォードが「ワン、ツー、スリー、フォー」とか始めたわけだが、ケーブルがちぎられてて電源がない。アコースティックなビル・ブルフォードになってしまうし、何を演奏するにしても、自前の音でやるしかなかった。大げさに聞こえるかもしれないが、クリムゾンじゃ、こんなのが日常茶飯事だったんだ。
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