クラウス・シュルツェ、ツトム・ヤマシタ「Go」を語る

08 October 2025  |  Tags: Klaus Schulze, Stomu Yamashta

ツトム・ヤマシタ (海外では Stomu Yamashta の名で活動してた) の「Go」(1976年) は、スティーヴ・ウィンウッド、マイケル・シュリーヴ、クラウス・シュルツェ、アル・ディ・メオラって、ジャンルも出身もてんでんばらばらな錚々たる面々をまとめ上げたプロジェクトで、どうやって集めたんだろってのが昔から気になってた。これはファン有志が、それぞれのインタビューから抜粋して作った記事より。

→ The Music Aficionado | Stomu Yamashta's Go


(原注) シュルツェは1975年に西ドイツで喜多郎 (高橋正明) と知り合うなどして、彼がメンバーだったファー・イースト・ファミリー・バンドのアルバム「Parallel World / 多元宇宙への旅」をプロデュースし、そういった活動を通じてヤマシタに紹介された。彼は「Go」のスタジオに、Big Moog、ARP 2600、ARP Odyssey、EMS Synthi A、Farfisa Syntorchestra など、トラック一台分くらいの大量の機材を持ち込んだ。

  • 当時、イギリスのロック・スタジオじゃシンセサイザーはまだ知られてなくて、エンジニアやスタッフ、そしてミュージシャンの内には、私の「変てこな」機材と、それらが作り出すサウンドに驚く人もいた。特にシーケンサーが目新しかったんだ。

  • アル・ディ・メオラの速弾きは実にセンセーショナルだったが、芸術的には意味がなかった。それを示そうと、ある時、シーケンサーのスピードをどんどん上げていってみた。ディ・メオラはあるところで諦めざるをえなくなり、別室で機械を操作してるシュルツェがなぜあんなに速く演奏できるのか不思議がった。そこで、ただの機械だって見せて、良い音楽は速弾きから生まれるんじゃないって示した。なんだか不服そうだったんで、伝わったんじゃないかな。


嫌な奴だな (笑)。

ザ・ビートルズ「Abbey Road」は1969年だし、ELP のデビュー作は1970年だし、1976年の時点でシンセサイザーが知られてなかったってことはないと思うけど、シーケンサーは初めてだったかも知れない。ちなみに、ザ・フー「Who's Next」(1971年) に入ってる「Baba O'Riley」「Won't Get Fooled Again」のあの音は、シンセサイザー+シーケンサーではない。ローリー・オルガン (Lowrey Organ) のマリンバ・リピートって機能を使ってる。

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