アニカ・ニレス、ドラマーになった経緯を語る (2/4)
2026年のラッシュ復活ツアーに故ニール・ピアトの後任として抜擢されて、一躍「時の人」(死語か) になってしまったアニカ・ニレスが、若い時分の「もがいていた頃」のことを語っている。Drumeo ってドラムスのレッスンのサイトから、2023年5月の記事。
→ Drumeo | It's Never Too Late - Anika Nilles
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ラッキーなことに、クラウス・ヘスラーが家から20分のところに住んでたんです。彼の下で学んで、技術や理論や心構えを磨くことができました。演奏技術と指導技術について練習するプログラムも紹介してくれました。素晴らしかったです。自分は最も若いメンバーで、(彼を囲む) ドラム教師たちからだけでなく、他のドラマーたちからも沢山のことを学びました。そんな刺激的で前向きな人たちに囲まれて、私はついに仕事を辞めました。
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初めてドラムスと音楽に集中できるようになり、個人レッスンをしたり、ワークショップを開いたり、クールな仕事を得たりしました。他のミュージシャンと繋がりができたおかげです。業界の人たちが事務所に紹介してくれて、セッション・ミュージシャンとして働かせてもらったりできるようになりました。順調でしたね。
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ですが、私はドイツで唯一のポピュラー・ミュージック専門のアカデミーで勉強したいと思うようになったんです。ただ、以前に専門学校を受けた時に、あまりにひどい落ちかたをしたので、今度は上手くいくか不安でした。
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今回はしっかり準備しました。クラウスの集中コースを実践し、その場で演奏する曲を幾つか用意し、違うスタイルでも演奏できるように練習しました。なのに、人前でドラムスを演奏することに、生まれて初めて本当に緊張したんです。音楽を心で感じるなんて全然無理で、練習したのをただ演奏するのがやっとでした。緊張のあまり喋ることもできなくなり、審査員に笑われたりしました。ですが、以前と違って、審査員の人たちはとても好意的で、だんだん気が楽になってきました。
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一週間後、クラウスから電話がありました。私が合格したことを知ってたんです。
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私の人生は一変しました。ここでは音楽に100%身を委ねられるって判ったんです。ミュージシャンどうしの巨大なネットワークや、国際的な業界との繋がりもあって、幸せな気分でした。
クラウス・ヘスラー (Claus Hessler) って人、知らなかったんで調べてみたら、世界的に有名なドラマーで、実に優れた指導者でもある。ドラム教室をやってる人の、この記事が面白い。2015年の時点で、さすが、アニカ・ニレスの名前も出てくる。
→ Faceboox | Studioliteドラム教室 - 『超高速モーラー』に見えるが実は『バズロールの応用』という奏法の存在
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