アニカ・ニレス、ドラマーになった経緯を語る (3/4)
2026年のラッシュ復活ツアーに故ニール・ピアトの後任として抜擢されて、一躍「時の人」(死語か) になってしまったアニカ・ニレスが、若い時分の「もがいていた頃」のことを語っている。Drumeo ってドラムスのレッスンのサイトから、2023年5月の記事。
→ Drumeo | It's Never Too Late - Anika Nilles
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しかし、半年もする内に、自分はダメだって判ってきました。まわりは19歳とか20歳の驚異的なミュージシャンばかりで、ギターであれドラムスであれベースであれ、ずっとそれに専念してきて、すでに他の学校で学んでからここに来た人たちでした。自分はただ年とってて下手くそだって気になってきたんです。
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しまいには、もう演奏できなくなってしまいました。ドラムスが大好きで、辛い日にはいつもドラムスが「救い」だったので、恐ろしく悲しくて苦しかったです。
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おまけに、彼らは互いに連絡を取り合ってセッションの代役を頼んだりしてましたが、私に連絡してくることはありませんでした。自分の何が悪いのか判りませんでしたが、完全に避けられていたのです。無視されて、どん底な気分でした。
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「救い」を失い、何もかも辞めたくなって、ある時、演奏中に泣き出して、ステージを降りてしまいました。「もう辞める。もうやれない」ってみんなに言って。
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ちょうど学期が終わるところで、何週間か家で両親と過ごすことにしていました。両親はその頃には私の音楽活動を後押ししてくれていて、あと数週間くらいはもう少し頑張ってみて、新しい先生 (原注: ジョスト・ニッケル。その後、有名になった) の様子も見てから決めてはどうか、って私を励ましてくれました。
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学校で練習する時は、ドアを閉めて窓も覆って、誰が演奏してるか誰にも見えないようにしていました。ミスを聞かれたくなかったからです。ですが、そうやっている内に、精神的にもドラムスの技術的にも、だんだん進歩してきたかなって思えるようになってきました。
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学期末には試験があって、先に進むためには、それに合格する必要がありました。ドラムスで小品の演奏や伴奏をやらなければなりません。ですが、自分の一挙一動を見られて評点を付けられるのが本当に怖くて、パニックになりました。手が震えてまともに演奏できず、何もかもぼろぼろでした。
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もちろん、落ちました。何度も再試験を受けて、ようやく合格できたんです。
ちなみに、本人は現在はこの母校 Popakademie Baden-Wüttemberg の講師も務めてる。
ついでに、こんなのも紹介しとこうかな。Fifteen Questions って音楽や映像の関係の短いインタビューを集めたサイトで、いつの記事か書いてないが、内容から見て2025年9月上旬くらい。
→ Fifteen Questions | Anika Nilles about Drums and Percussion
ラッシュのドラマーだったニール・ピアトは「機材はどうでもいい。機材が演奏に影響することはない。機材は演奏を表現する手段なだけだ」って言ってましたが、どう思いますか。
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機材はひらめきをもたらしてくれることもある、って付け加えたいですね。何か特別なドラムが、高級なものでも変なものでも単に他と違うものでも、それまでぬくぬく過ごしてた世界から外へ自分を押し出してくれることがあるからです。それまで思いもよらなかったサウンドやリズムを試してみようって気にさせてくれるからです。
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とはいえ、素晴らしい機材を使いさえすれば優れたミュージシャンになれるってわけじゃありませんけど。
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