ピーター・ハミル、自らのキャリアを語る (3/6)
「arcor.de」というドイツの謎のサイトで発見。ソロではけっこうちょくちょく来日しているのが、ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーターでは2度めになるのかな、この夏に来日するピーター・ハミルが、今まで知らなかったことも色々と語っていて面白い。いつのインタビューか書いてないが、「クイーン・エリザベス・ホールで3月にライブをやった」とあるので、おそらく2001年。よく見ると、Wikipediaからも参照されている。
→ Hammill Discusses His 35-Year Career and Selects Some Entry Points for His 40+ Albums
ジョン・ライドン (ジョニー・ロットン) が大ファンで、「Nadir's Big Chance」を賞賛していたことについて
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1974年のアルバム「Nadir's Big Chance」、特に最後の曲「Two or Three Spectres」には、パンク的な感情がこもっているが、自分が「パンク」を発明したわけではない。パンクは怖くも何ともなかった。ああいう「やってやるぜ」的な指向には、100%賛成だ。もしもパンクが怖かったとしたら、それは怖がるだけの理由があったからだろう。もちろん、服装や態度だけでパンクを称するのは、ばかばかしいが。ヴァン・ダー・グラーフと名乗っていた1977〜8年頃は、信じられないほど攻撃的だった。ロバート・フリップの1979年の「Exposure」でも歌ったが、あれも同じように攻撃的だった。
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当時が、音楽の色々な可能性が大きく広がった最後の時だろうと思う。デイヴィッド・バーンやブライアン・イーノ、大勢の人たちがロックという枠の中で色々なことをしようとしていた。キング・クリムゾンからパンクまで、ありとあらゆることをだ。その後、音楽ビジネスは音楽産業になってしまい、ニッチなマーケットというものが登場した。自分にとって、ニューヨークに行ってロバートのソロアルバムで歌う、ザ・ストラングラーズと歌う、家で自分のソロアルバムを作る、ランダム・ホールドをプロデュースする、それらはどれも至極自然なことだったんだ。ばらばらな仕事だが、どれも楽しかった。ただ、自分はやるべきことをやってきただけで、黄金時代の一翼を担ったとか、そういうことは全くない。
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