キース・ムーン、ザ・フー加入の経緯などを語る (4/8)
「DRUM! Magazine」誌サイトに2013年8月に載ったもの。元は1972年4月の「Melody Maker」紙の記事とのこと。原題からして「Rare Interview」なんてなってて、確かにかなり貴重だろうと思う。
→ DRUM! Magazine | Moon Probe: A Rare Interview with Keith Moon
ロンドン以外で演奏するようになったのは、いつ頃からですか。
- ポップ歌手やバンドが大勢出る日曜コンサートってのがあって、俺たちも出るようになった。持ち時間3分、1曲やって終わりだ。けど、俺たちの1曲って15分なんだよな。何度も出たわけじゃないけど、だいたい持ち時間オーバーだし、行儀の悪い厄介者なんで、必ずトラブルになった。その後は、TVの「Ready Steady Go!」(音楽番組) やブラックプール (イギリスのリゾート地) のビートルズ・ショーに出たりしたな。
レコード会社とトラブルになったこともありますか。
- そんなの、いつもだよ。おかしな奴らばっかりなんだ。俺たちの担当の奴なんか、何も働こうとしない。みんな口論ばかりしてて、たいていは的外れだし。俺たちときっちり話を詰めたはずなのに、手配も準備も何もできてなくて、結局は殴り合いで解決するしかなくなったりするし。
最初にアメリカに行ったのは、いつですか。
- ずいぶん後になってからだね。「Ready Steady Go!」に出たりした後、「Ready Steady Who」ってEPを作った。キットがパリにコネがあって、何回かライブをしに行った。それが国外に出た最初だ。キットがビストロに連れてってくれて、そこでドラムスにゲロを吐き散らしたのを憶えてる。そこのバンドがやってたのも、俺たちがマーキーでやってたのと同じ、モータウンの曲で、俺はザ・フーの曲と同じくらい好きだね。
モッズだったんでしょうか。
- いや、俺はロッカーだ (モッズと対立していたグループ)。ジョンの他は、汚い恰好をしてたよ (ロッカーの象徴)。だいたいTシャツとジーンズだし、ピートなんかいつもツナギだ。アートなファッションは、キットのアイデアなんだ。
んー、だんだん少しずつ質問と回答がかみ合わなくなってきてる。最初の内は、あれ、意外に (笑) しっかりしたこと言うじゃん、とか思ってたんだけど。先に言っとくと、この先、言葉数もどんどん少なく短くなっていくのだった。どうも長続きできないらしい。
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