キース・ムーン、ザ・フー加入の経緯などを語る (2/8)
「DRUM! Magazine」誌サイトに2013年8月に載ったもの。元は1972年4月の「Melody Maker」紙の記事とのこと。原題からして「Rare Interview」なんてなってて、確かにかなり貴重だろうと思う。
→ DRUM! Magazine | Moon Probe: A Rare Interview with Keith Moon
そのバンドは、どれくらい長く続きましたか。
- その頃 (1964年) はザ・ディトゥアーズって名前だったけど、それからザ・フーに替えたんだ。俺が入った時は、もうザ・フーだった。ピートの友達のアイデアだ。色々と名前を替えたよ。どのバンドもそうだった。いったんはマネージャーのピート・ミーデンの考えで、ザ・ハイ・ナンバーズって名前にして、モッズのイメージで売り出した。俺たちは、自分たちが何をやってんのか、判ってなかったんだろうな。判るより先に、モッズの小道具に取り囲まれちまって、場違い感が一杯だった。それがけっこう長く続いたんで、内輪もめになっちまったし。
キット・ランバートとクリス・スタンプは、いつから一緒なんですか。
- まだザ・ハイ・ナンバーズの名前で、シーンってクラブでやってた時だ。最初にキットがハロウ (ロンドン郊外の地名) で俺たちを見て、そしてキットとクリスと契約して、それからずっとくっついてる。誰かが奴らの面倒をみなくちゃな。
マーキー (ロンドンの有名なクラブ) に出演し始めた最初の頃、観客に金を渡して、来てもらってたというのは本当ですか。
-
それは、シェパーズ・ブッシュ (ロンドン郊外の地名) のモッズたちが来てくれた時の話だな。キットは、俺たちをウェスト・エンド (ロンドンの高級住宅街) に乗り込ませて、ザ・フーのハードコアなファンクラブを作ろうとしてた。「Hundred Faces」って名前だ。チケットも会員限定にして、それがマーキーでのライブの始まりだった。火曜に演奏して、そこでシェパーズ・ブッシュから来る筋金入りのサポーターたちに、ただでチケットを配ったんだよ。
-
集団はどんどんデカくなってった。奴らがガールフレンドや仲間を連れてくるし、迷い込んできたのもいる。マーキーの最後の頃には、観客でギシギシになってた。それが俺たちのマーキーだ。そこら中から集まってきてくれてたんだ。
前回へのコメントになるけど、キース・ムーンがザ・フーに加入したきっかけは、通説だと、あるライブで当時のドラマー、ダグ・サンデンに観客のムーンが「俺のほうが上手いぜ」って言って挑戦し、本当に上手かったのでそのままメンバーになった、ってことになってる。だが、本人に言わせると、どうも違うようだ。もっとも、本人の記憶がどこまで確かか、って大きな疑問はあるが (笑)。別のところでジョン・エントウィッスルが言うには、セッション・ドラマー (デイヴ・ゴールディング) に声をかけてきた観客は「俺の友達のほうが上手いぜ」と言ったそうで、どうも色んな話が錯綜してる。
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