デイヴィッド・ギルモア、ピンク・フロイドなどを語る (1)
あんまり取り上げてこなかったフロイド界隈だけど、ファンサイトの Pink Floyd & Co. にあったギルモアの長いインタビューを拾ってきてみた。1988年って古い記事なので、どっかで既出かもって思ったけど、少なくともネット上では紹介されてなさそう。加入の経緯から解散の顛末やライブエイドの件とかまで、色々と語っている。
→ Pink Floyd & Co. | David Gilmour - Australian Radio Interview, 1988
ピンク・フロイドに加入した時は、どんな状況だったんですか。
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前任のシド (バレット) が、頭が変になっちゃってね。原因は判らない。色んな人が色んなことを言ってたけど、誰にも判らない。14歳 (1960年) の頃から親友で、最初から最後まで見届けたよ。その後、彼のソロアルバムを2枚プロデュースしたし、誰よりもよく知ってたと思う。それでも判らないんだ。麻薬のせいだって言う人もいたけど、麻薬をやっててもおかしくならなかった人は大勢いるわけで。
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とにかく、彼は他人とコミュニケートできなくなったんだ。前はお母さんと暮らしてたけど、お母さんは彼といるのに耐えられなくなって家から出てっちゃった。最近は会ってないけど、妹のローズや弟のアランとは時々喋って、彼の印税をちゃんと受け取れてるか確かめたりしてる (ちなみに、バレットは2006年に死去)。
ピンク・フロイドに入る前は、何をしてましたか。
- まず2~3年くらいバンドをやってて、ケンブリッジあたりで人気もあった (ケンブリッジはギルモアの故郷。お父さんはケンブリッジ大学の先生)。その後は別のバンドを作って、1年か1年半くらいスペインやフランスに住んでた。そしてロンドンに戻って、ショップの配達の仕事をしたりしながら、夜や週末のオフの時にバンド活動がやれないか考えてた。
シドが復帰できるまでの繋ぎのつもりだったのが、彼はもう無理って判ったってことですか。
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シドに裏方で (ライブやレコーディングには加わらず)、例えば曲を作ったり何らかの形で参加してもらえればって淡い期待があったけど、結局は淡い期待のままだった。長続きするはずがなかったんだ。
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彼らが私に頼んできたのは、彼らがよく知ってる内で歌もギターもできるのが私一人だったし、似たようなバックグラウンドなんで上手くやってけるだろうって思ったからだ。私を評価してくれてたんだろうね。もう一人、ジェフ・ベックに頼むことも考えてたようで、そうなってたら結果はちょっと違ってたかも。
ジェフ・ベックも候補に上がってたってのは本当で、折り合いがつかず没になった。ただ、もし加入したとしても、きっとアルバム2枚で脱退してたと思う (苦笑)。ギルモアのベック評については、「関連の記事」をどうぞ。
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